地図で読み解くフランスの歴史④ カール1世の時代におけるカロリング朝の最盛期 | FRON [フロン]

地図で読み解くフランスの歴史④ カール1世の時代におけるカロリング朝の最盛期

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

地図で読み解くフランスの歴史の今回は4回目です。

前回はキリスト教ができてそれがどのようにローマ帝国内外に広まり、それがどのように全世界で強い影響力を持つようになったのかをみました。

今回もその続きでキリスト教がフランク王国にどのような影響を与えたのかについてみていきましょう!

ローマ帝国の東西分裂によるキリスト教会の分裂

395年にローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂すると、ローマにあったローマ教会は西ローマ帝国を、コンスタンティノープルにあったコンスタンティノープル教会は東ローマ帝国をそれぞれ保護国としました。

もともとローマ教会はキリスト教の大教会(五本山)のなかでも特別な地位にあったものの、ローマ帝国の分裂によりキリスト教のトップの座をめぐり、ローマ教会とコンスタンティノープル教会の対立が鮮明になっていきました

そんな中、476年に西ローマ帝国が滅亡するとローマ教会は保護国という後ろ盾を失い、弱体化していました。そこで、ローマ教会は新たな保護国を求め、当時まだキリスト教が浸透していなかったフランク王国に目をつけました

そして、ローマ教会はクローヴィスのキリスト教(カトリック派)への改宗に成功し、ローマ教会はフランク王国を保護国化し、フランク王国内ではキリスト教の影響力が強くなっていきました

ピピンの即位とローマ教会の権力強化

さて、話をフランク王国のカロリング朝に戻します。

カロリング朝が成立する際、初代の国王だったピピン3世は自身のカロリング朝の王の即位を自身の正当性を裏付けるためにローマ教会に承認してもらいました

どういうことでしょうか?

ローマ教会とはキリスト教の教会です。キリスト教はイエスの教えを布教する教会です。そして、イエスは神です。つまり、神に自身の即位を認めてもらえれば、自身が王になることに対して相当強いお墨付きを得たことになります。それにより国民からの支持も得やすくなり、磐石な権力基盤を築くことができます

その見返りとしてピピン3世は756年、当時ローマ教会に圧力をかけていた北イタリアのランゴバルド王国に侵攻し、ラヴェンナという地を奪い、ローマ教会にプレゼントしました。(ピピンの寄進

ローマ教会はラヴェンナをローマ教皇領とし拠点にしました。

カロリング朝の全盛期

ピピン3世がなくなると、その後を継いだカール1世(カール大帝)は周辺国や地域に進行し、領土を広げていきます

774年、北イタリアのランゴバルド王国に侵攻し、滅ぼすとこの地を併合しました

また、イベリア半島にも進出したもののイスラム帝国の抵抗により撤退を余儀なくされました。(ロンスヴォーの戦い)それでも、イベリア半島の北東を流れるエブロ川まで西に領土を広げました。また、北と東でもそれぞれ領土を広げました。

そして、800年、ローマ教会の教皇(ローマ教会の最高位)だったレオ3世がローマ皇帝の冠をカール1世に与えました。(カールの戴冠

なぜローマ教会はカール1世にローマ皇帝の冠を与えたのでしょうか?

この頃、ローマ教会とコンスタンティノープル教会そしてその保護国の東ローマ帝国との対立は激化していました。

ローマ教会とフランク王国の結びつきはあったものの、ローマ教会は東ローマ帝国が攻撃してきたときに確実に守ってくれる関係性が必要でした。そこで結びつきを強化するためにローマ教会はカール1世に西ローマ皇帝の冠を与えたのでした

これによりローマ教会は東ローマ帝国と対抗できる政治力と武力を手にしました。

 

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