地図で読み解くフランスの歴史⑤ パリの発展とイングランド王国との関係 | FRON [フロン]

地図で読み解くフランスの歴史⑤ パリの発展とイングランド王国との関係

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

地図で読み解くフランスの歴史の今回は5回目です。

前回はフランク王国カロリング朝の王カール1世とローマ教会の結びつきが強くなりローマ教会は東ローマ帝国と対抗できる政治力と武力を手にしたところまで学びました。

 

フランク王国の分裂とフランス王国の始まり

814年にカール1世が亡くなると、その後継ぎをめぐって彼の子息たちが争い始めました。

孫のロタール1世、ルートヴィヒ2世そしてシャルル2世は841年に戦い(フォントノワの戦い)、帝国を均等に3分割するという条約を結びました。(ヴェルダン条約

その結果、フランク王国は西フランク王国、中部フランク王国、東フランク王国の3つに分裂しました。

その後、中部フランク王国を治めていたロタール1世が亡くなると、ルートヴィヒ2世とシャルル2世はメルセン条約を結び、中部フランク王国を分割し、それぞれの国に編入し残った部分をイタリア王国としました。

 

しかし、その後、西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国のカロリング家の王たちは後継ぎを残さないまま死去したためカロリング家の血統が途絶えました。

西フランク王国ではカペー家のユーグ・カペーが王に即位し、西フランス王国カペー朝が始まりました。そして、以降この西フランク王国のことを歴史学では「フランス王国」とよび、今日のフランスの基礎となりました。

東フランク王国ではコンラディン家のコンラート1世が即位し、ドイツ王国が成立しました。

イタリア王国では951年にドイツ王国のオットー1世が侵攻し、イタリア王オットーネ1世と名乗り、962年にローマ皇帝の冠を受けました

フランク王国はローマ教会の保護国だったものの、分裂したため新たな保護国を探していたローマ教会がオットー1世に目をつけ、この戴冠が実現しました。

ローマ教皇のお墨付きを得た、オットー1世はローマ皇帝としてドイツ王国とイタリア王国の支配を確実なものとしました。これにより神聖ローマ帝国という巨大な帝国が出現しました。

 

パリの発展

カペー家はもともとパリを統治する大領主だったため、フランス王国カペー朝ではパリが首都になりました

首都となったパリはとりわけ12世紀から発展し、シテ宮という王宮や城壁や要塞が築かれました。また、パリ大学も建設され、パリは政治、学問、経済等の中心地として栄え、人口も爆発的に増えました。

 

しかしながら、パリ以外のフランス王国の領土では問題がありました。フランス王国の領土は大きく、カペー家だけでは領土を外敵から守れないためパリ以外の場所は他の一族が守っていました

フランス王国の北西部にはアンジューという州があり、そこはプランジット家という一族が守っていました。そのプランジット家の長であったアンリが1154年にイングランド王国の王位を継承し、ヘンリー2世として即位し、イングランド王国プランジット朝の王になりました

これにより、イングランド王ヘンリー2世としてはフランス王ルイ7世と対等であるもののアンジュー伯(アンジュー地方の大領主)としてはフランス王の臣下であるといういびつな関係ができあがりました。

また、ヘンリー2世が治めていたフランス王国内の領土は彼の死後も彼の息子たちでありイングランド王国プランジット朝の王となった2代目のリチャード1世やジョン王にも継承されていきました。

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