地図で読み解くフランスの歴史⑨イタリア戦争の終戦 | FRON [フロン]

地図で読み解くフランスの歴史⑨イタリア戦争の終戦

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

地図で読み解くフランスの歴史の今回は9回目です。

前回は百年戦争の終戦とイタリア戦争の開戦について学びました。

百年戦争は結果的にフランス王国が自国内のイングランド王国が支配する領土を奪回して終わります。その後、フランスは領土拡大を目指し、南イタリアに侵攻します。

しかしながら、南イタリアのナポリ王国がローマ教皇やスペイン王国と同盟を結び、これを退けてフランスのイタリア半島への領土拡大の夢はシャルル8世とルイ12世の間にはかないませんでした。

フランソワ1世とイタリア戦争

ルイ12世の次に即したフランソワ1世もシャルル8世がはじめ、ルイ12世が継いだイタリア戦争を継続させます。

しかしながら、1503年にスペイン王国のフェルナンド2世がフランソワ1世をナポリ王国内のチェリニューラという地での戦いで破ると、スペイン王国はナポリ王国を征服しました

1519年にスペイン王国を治めるハプスブルク家のカルロス1世が神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の死去に伴う帝国の皇帝選挙に勝ち、カール5世として神聖ローマ帝国の皇帝になります。これによりカルロス1世はスペイン王国と神聖ローマ帝国という2つの大国の元首になりました。

これによりフランスはハプスブルク家にはさまれることになりました。その事態を危険と感じたフランソワ1世はイングランド王国のヘンリ8世と同盟を結ぼうと模索しますが、結局同盟結成は叶いませんでした。

1525年にフランス王国はイタリア半島のミラノに侵攻します。しかしながら、同じくイタリア半島での覇権の確立を目指す神聖ローマ帝国により退けられ、イタリア半島のパヴィアで行われた戦いではフランソワ1世は神聖ローマ帝国の同盟国として参戦していたスペイン王国に捕らえられマドリードに幽閉されてしまいます

その後、カール51世との間でフランス王国のブルゴーニュやミラノ、ナポリなどの放棄を盛り込んだマドリード条約を結ばされ、フランソワ1世は解放されました。

イタリア戦争の完全な終結

マドリード条約はフランス王国にとって到底受け入れがたい条約でした。フランソワ1世はカルロス1世を破るためにオスマン帝国との同盟を模索していました。オスマン帝国のスレイマン1世もカール5世を抑えたいと考えていたので両者の思惑が合致し、ひそかに手を組むことを決め、オスマン帝国はフランス王国に帝国内の諸都市での貿易上の特権(カピチュレーション)を与えました。

しかしながら、フランソワ1世はカール5世を破れず、またカール5世側も資金不足や国内の問題の対処をしなければならず両者は引き分けという形でクレピーの和約を結びました。

しかしながら、フランソワ1世の死後、後を継いだアンリ2世はカール5世に抵抗するため再度イタリア半島に侵入します。戦争はフランス王国の優勢で進んでいきます。

1556年、持病の悪化や戦争への疲れからカール5世が神聖ローマ皇帝とスペイン王の両方を退位し、神聖ローマ皇帝は弟のフェルディナンド1世にスペイン王は息子のフェリペ2世にそれぞれ継承されました

一時はスペイン王となったフェリペ2世側が盛り返すも、フランス王国も負けず劣らず、再度フランス王国が優位な状況になりました。

しかしながら、両者の戦費はついに底をついたため1559年にフランス王国とハプスブルク家(神聖ローマ帝国とスペイン王国)はカトー・カンブレジ条約を結び、フランスはイタリア半島の権利を全て放棄し、イタリア戦争は完全に幕を閉じました

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