地図で読み解くフランスの歴史⑪三十年戦争 | FRON [フロン]

地図で読み解くフランスの歴史⑪三十年戦争

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

地図で読み解くフランスの歴史の今回は11回目です。

前回は宗教改革とユグノー戦争について学びました。

ルターによりキリスト教にはカトリックとは別にプロテスタントという教派が生まれます。プロテスタントは多くの人々に影響を与えます。

ルターの考えに影響を受けたカルヴァンは自身の考えをプロテスタントに加え、カルヴァン主義という教えを成立させます。フランス王国ではこのカルヴァン主義を信じる教徒(ユグノー)と従来のカトリックを信じる教徒の間で争いが起こります。これがユグノー戦争です。

ユグノー戦争の最中にフランス王国ヴァロワ朝のアンリ3世が暗殺され、後継ぎがいなかったことでヴァロワ朝は断絶し、ヴァロワ家と親戚関係にあったブルボン家が後を継ぎ、ブルボン朝がはじまります。

戦争はブルボン朝のアンリ4世によるユグノーの信仰の自由も条件付で認めるという条約の締結により終わりました。

ユグノー戦争後のフランス

アンリ4世はユグノー戦争で疲弊したフランス王国内を立て直すために産業の保護や農業や公共事業の促進、道の整備、教育機関の拡充など様々な政策を行います。

また、パリの再開発も実施し、パレ・ロワイヤルやルーヴル美術館の大ギャラリーなどを造りました。加えて、北アメリカに探検隊を送るなどフランス国外にも視線を向けていました。

しかし、アンリ4世は暗殺されてしまいます。

その後を継いだルイ3世はまだ幼かったため母親と宰相(首相)のリシュリューが実権を裏で握っていました。

1618年、隣国の神聖ローマ帝国では三十年戦争が始まりました。三十年戦争はもともとはユグノー戦争のように神聖ローマ帝国内のプロテスタント教徒とカトリック教徒の争いでした。

しかしながら、この状況を北欧での覇権を狙う好機ととらえたスウェーデン帝国などがプロテスタント側で参戦しました。また、フランス王国も本来はカトリックの国家で神聖ローマ帝国を治めるハプスブルク家と同じでしたが、リシュリューはハプスブルク家を倒すためにプロテスタント側で参戦しました。

このように当初は神聖ローマ帝国内の宗教対立だった三十年戦争は各国の思惑が働き、国際戦争に発展しました。

三十年戦争の終わりと絶対王政の確立

1648年、三十年戦争は終わり、ウェストファリア条約が結ばれます。

この条約でフランスは神聖ローマ帝国内のアルザス地方とロレーヌ地方のいくつかの神聖ローマ帝国の領土を獲得します。

また、神聖ローマ帝国は帝国内のネーデルラント連邦共和国などの独立し、帝国内の約300の諸侯の支配地は立法権や課税権、外交権を持った領邦となりました

これらの出来事は実質上の神聖ローマ帝国の解体を意味していました。

三十年戦争に参戦したリシュリューはフランス国内にアカデミー・フランセーズという学術組織をつくり、フランス語の統一を行いました。

ルイ13世が亡くなるとその後を継いだルイ14世は幼かったため実権は宰相のマザランが握っていました。

三十年戦争は1648年に終わっていたものの、カトリック側で参戦していたスペイン王国とプロテスタント側で参戦していたフランス王国の戦争はまだ続いていました。(両者の争いは1659年のピレネー条約で終わりました)

戦費調達のためにリシュリューの政策を引き継ぎ、重税を行っていたマザランに対し、1648年に貴族や平民の怒りが爆発し反乱が起こります。(フロンドの乱

マザラン率いる政府はこの反乱の鎮圧に成功します。これにより、王が絶対的な権力を握る「絶対王政」の体制が確立しました。

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