地図で読み解くフランスの歴史⑭スペイン継承戦争とハプスブルク家 | FRON [フロン]

地図で読み解くフランスの歴史⑭スペイン継承戦争とハプスブルク家

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

地図で読み解くフランスの歴史の今回は14回目です。

前回はフランス王国とグレートブリテン王国の植民地戦争の勃発について話しました。

ヨーロッパでの領土拡張を目指すフランス王国のルイ14世は同時に北アメリカ大陸でもフランス王国の領土獲得と拡張を模索します。しかしながら、同じように北アメリカ大陸で領土獲得と拡張を狙うグレートブリテン王国と衝突し、戦争が始まりました。

1688年には神聖ローマ帝国のライン地方に侵攻し、ルイ14世にとっては3つ目の侵略戦争となるファルツ継承戦争が始まりました。

神聖ローマ帝国はスペイン帝国やネーデルラント共和国、スウェーデンバルト帝国などとアウクスブルク同盟を組んで抵抗しました。アウグスブルク同盟にはグレートブリテン王国も加わりました。

北アメリカではウィリアム王戦争が英仏間で勃発しました。

ヨーロッパと北アメリカで始まった両者の対立は英仏植民地戦争と呼ばれています。

スペイン継承戦争

スペイン帝国を治めるハプスブルク家の後継ぎ問題が1700年に起こると、ルイ14世は自身の王妃がハプスブルク家出身であることを理由に孫のフィリップをスペイン帝国の継承権を主張しました。

スペイン帝国はフィリップがフランス王国の王位継承権を放棄することを条件にフィリップの王位継承を認め、フィリップはフェリペ5世としてスペイン帝国のスペイン王として即位しました。

しかしながら、フェリペ5世はフランス王国の王位継承権を放棄していなかったため、スペイン帝国とフランス王国が合同し、1つの国になることを恐れたイングランド王国と神聖ローマ帝国、ネーデルラント共和国が対仏大同盟を結んで宣戦布告し、スペイン継承戦争が1701年に始まりました。

戦争は1713年にフランス王国の敗戦で終わり、フランス王国とイングランド王国、ネーデルラント共和国の間ではユトレヒト条約が結ばれ、フェリペ5世がスペイン王となることが承認されました。これにより、スペインではフランス系のブルボン朝が始まりました。しかし、スペインとフランスの合同は永久的に禁止されました

一方で、スペイン帝国はグレートブリテン王国(1707年、イングランド王国はスコットランド王国が合同し、グリートブリテン王国が成立しました)とジブラルタルなどの領土を、ネーデルラント共和国に対しても自国の領土を割譲しました。

神聖ローマ帝国との間ではラシュタット条約が結ばれ、これまでハプスブルク家が治めていたスペイン帝国領の南ネーデルラントやミラノ、ナポリ、サルディーニャを神聖ローマ帝国を治めるオーストリアのハプスブルク家に割譲し、ハプスブルク家は神聖ローマ帝国内の両方の1つで自身が支配していたオーストリア大公国にこれらの領土を加えました

ミニ講義 「2つのハプスブルク家」

ハプスブルク家はもともと1つの一族で神聖ローマ帝国を代々治めるなど巨大な領土を支配していました。

しかし、神聖ローマ帝国とスペイン王国のそれぞれの王位を継承していたハプスブルク家のカール5世は自身が退位する際に、神聖ローマ帝国とスペイン王国という巨大な国々を一人で統治するのは不可能だと考え、ハプスブルク家をスペインハプスブルク家とオーストリアハプスブルク家に分けました。以降、同じハプスブルク家でも異なる一族になりました。

この記事が気に入ったら
「いいね!」をしよう
FRON [フロン]の最新情報をお届けします
オススメの記事

この記事のライター

カテゴリ一覧

内容について連絡する

Papico

ブダペストに住む24歳/フランス長期留学経験者/語学/サッカー/読書 ブログやってます: http://japangary.hatenablog.com/

イベント予約

気になるイベントを簡単予約♪ ※English Page

予約するイベント

お名前(フルネーム)

メールアドレス

予約人数

英語は流暢に話せますか?
はいいいえ
※できなくても全く問題ありません。

メルマガ受信設定

※予約完了メールが届かない場合はLINEにてご予約下さい。

 

イベントカテゴリー

気になるキーワードをクリック♪

 

FRON [フロン] | 英会話や外国語を話すならFRON!東京で外国人と国際交流しませんか?