なぜ香港で大規模なデモが起きてるの? | FRON [フロン]

なぜ香港で大規模なデモが起きてるの?

こんにちは!フランス長期留学経験者、現在ハンガリー在住ライターのPapico(ブログはこちら)です。

現在、香港で大規模なデモが起こっています。

中国本土に容疑者を引き渡せば「一国二制度」が崩壊する「香港はもう私たちの政府ではない」200万人デモ』

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20190611-00129620/

なぜこのような大規模なデモが起こったのかというと、過去の事件から香港政府が中国共産党政府との間で犯罪者の引渡しを可能にする法律を議会に提出したからです。

この法律は殺人などの刑事事件の犯罪者のみを対象にしており、政治犯は対象ではないと香港政府側は主張していますが、香港市民らは中国共産党を批判した人々も犯罪者として中国共産党から目をつけられ、香港で拘束され身柄を中国本土に引き渡されるのではないか、そしてそれは言論の自由がなくなることを意味するとして危惧しています。

そもそもなぜ香港は中華人民共和国の都市の1つなのに、香港政府と中国共産党政府との間で犯罪者の引渡しの取り決めをしなければならないのでしょうか?

そこには香港が歩んできた独自の歴史と「一国二制度」という香港を語る上で切り離せない制度があります。

今回はそんな香港の歴史をみていきましょう。

香港はイギリスの植民地だった

1840年、イギリスと清王朝との間でアヘン戦争が開戦します。きっかけは、イギリスから清朝に密輸出されていた麻薬アヘンの有毒性を危険視した清朝政府がアヘンを取り締まり、密輸入を禁止したためでした。

当時、イギリスは清朝からお茶や絹などを大量に輸入していましたが、イギリスから清朝に輸出していたものは時計などの高級品が多くイギリスの貿易は赤字でした。そこで、当時植民地だったインドでアヘンを栽培し、清朝に密輸出し赤字分を補っていました。

戦争はイギリスが勝利し、1842年に南京条約が結ばれ、香港島がイギリスに割譲されました

1856年には、アヘンの密輸出のために停泊していたイギリスの船、アロー号の船長を清朝が捕まえ、アロー号からイギリスの国旗を降ろしたことへの抗議としてイギリスがフランスと共に清朝に攻め込みアロー戦争がおこります。

結果は、英仏の勝利に終わり、1860年に北京条約が結ばれ、香港島の対岸にある九竜半島の一部がイギリスに割譲されました

1898年の日清戦争で日本に敗れたことで完全な弱体化を世界に晒した清朝に対し、日本、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアは中国分割を行い、イギリスは九竜半島の北部を99年間の租借という形で獲得しました

香港の返還

1997年に租借期間の99年が終わり、香港は中華人民共和国に返還されました。しかしながら、返還にあたり、イギリス政府と中国共産党政府は以下の声明を発表しました。

1、香港は中華人民共和国の特別行政区とする

2、香港に一国二制度を適用する

3、50年間は香港の資本主義体制を維持する

これにより香港は中華人民共和国の都市の1つであるものの、独自の政治体制が認められることになりました。

しかしながら、香港の特別行政区の役人を決める選挙で中国共産党に批判的な人物は立候補できないなど、完全な民主化はされていません。

完全な民主化のもとで選挙を行うことを要求したデモ(通称、「雨傘デモ」)が2014年に起こり、香港政府との間で大規模な衝突が発生するなど香港返還後の歴史は民主化との戦いの歴史でもあります。

 

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